栄で「蒲焼町」を歩く

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ホール担当の橋本です。

先日、栄の錦通を歩いていましたら、「蒲焼町」の看板を見つけ、「何? 町名??」ということで、この由来などを調べてみました。
名前の由来は諸説ありますが、一説には、名古屋城築城時に職人たちを相手に蒲焼を提供する店が数多く並んでいたことから名付けられたとか。徳川時代の基盤割の町作りで、南側に遊興地として栄えた蒲焼町筋は、現在の本町通から大津通の間までの錦通を挟んだ南北両側の事で、今も錦三丁目「錦三」として昔と変わらず歓楽街として栄えています。この「蒲焼町」という町名は、1966年(昭和41年)の住居表示実施に伴い、錦三丁目に編入されて消滅しましたが、旧蒲焼町のビルのオーナーの集まりで「蒲焼町発展会」がこの看板を設置したとの事。今現在も「蒲焼町」の看板は存在し地域の歴史や文化を感じさせる名残が残っています。

町を歩くことで思いがけない発見に出会えるものだなと感じました。
たまにはゆっくりと歩いてみるのもおすすめですよ。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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